ロゴ 西宮地区キャンポリーのあゆみ
西宮地区キャンポリーも耐寒訓練と並び、昭和28年、阪神地区時代から始まりました。


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西宮地区キャンポリー(地区野営大会)のあゆみ −結成20周年記念誌・結成30周年記念誌より−
行事(イベント)は、余暇善用のボーイスカウトの訓練時間を削り、ボーイスカウトの本命である班別教育を乱すおそれもあるので、その行事が、ボーイスカウトの目的に対して、有効な方法の一つとならない限り、差し控えておいた方がよい。
しかるに、ボーイスカウトの少年達の自発的な、そして自主的な活動を支援する役割であるはずの大人達が、まるで大人の楽しみのように、大人が行事を計画して少年達を操っていると言っても、言いすぎでないようなボーイスカウト活動の一般的な現状に巻き込まれないように、歴代の西宮地区役員は自戒してきたので、単なる行事のための行事は、他地区に比べて少ない。

各地区が、もっとも華やかな行事とする地区合同野営は、ジャンボリーや、県連盟合同野営がある限り、二重行事となり、隊の行事を圧迫するので、地区は、これを行わないことにしている。

阪神時代の初めのうちは、合同野営大会という名称も使っているが、それは、地区内の隊数が少なかった頃に、各隊長同士は、互いに友人同士でもあったので、各隊の夏季野営を、ひとところで、同じ時期にやって、互いに、教えたり教えられたりしながら交歓しようということになって、平素の隊編成、班編成そのままで、各隊毎の自主的なプログラムで行われていた。

昭和28年8月に行われたのが第4回ということであるが、それ以前のことは記録にはない。
当時の人たちの記憶では、友達同士の各隊長が申し合わせては、夏だけではなく、春でも秋でも、週末野営なども、いっしょにやったこともあったから、それらが回数のうちに数えられたのであろう。

最初の記録に現れてくる蓬莱峡は、当時も今も、あまり変わっていないが、あの狭い谷底でも、全員の野営ができたほど、スカウト総数が少なかったのである。

そのうちに隊数もスカウト数も増えてくるし、西宮市内では、地区の特別委員会として西宮ボーイスカウト連絡委員会が設けられ、西宮市内の隊だけ独自な動きをするようにもなってきたのと、団制度が定着してきて、団委員会が、組織としての機能を高めてくると、隊長同士が友達同士ということだけでまとまることは難しくなってきたので、各隊は、それぞれ隊毎に夏季野営を行う本来の姿にかえして、この合同野営方式を廃止した。

それに代わって、キャンポリーをすることになった。

夏季長期野営を実施する前に、各隊は、野営具や、スカウトの訓練など、物心両面にわたって、その準備が完了しているかどうかを点検したり、団委員に検閲してもらって、足りない備品などを補充してもらったりする模擬野営がキャンポリーである。

夏季長期野営が、年度替りなどに、各団が随意にやることでよいのだが、地区としても、地区内の各隊の態勢を掌握しておく必要もあるので、地区としてのキャンポリーを行うことになったのである。
夏季になると、地区役員も、各隊も忙しいことでもあるし、4月が登録年度替わりであるから、登録申請書と班別の実際についてチェックするために、3,4月の春季休暇中に一泊野営をすることになったが、スカウト数の増加と共に、班数が増えてきて、市内全部の班が1ヵ所に集まることは難しくなってきたので、野営をやめて、1日だけで検閲することになり、野営の日の1日はカブにも集まってもらっていたのもやめて、カブは別に、カブのキャンポリーを兼ねたカブ集会を持つことになった。

昭和43年の西宮地区としての最初のキャンポリーを第1回西宮地区キャンポリーと称して、58年に第14回を数えたが、その翌59年のキャンポリーを、第23回と報告されている。
昭和34年の小地区時代のキャンポリーを第1回として、37年、38年、41年の阪神地区キャンポリーも回数に加えると、そうなるので、以後この数え方によってもよいであろう。

剣谷ガミヤ池というのは、今は、豪邸に囲まれて、濁った水をたたえた、さほど大きくもない池であるが、当時は、今の数倍以上ある大きな池で、三方は雑木の茂った丘に囲まれ、南側は松原になっていた。
この池を中心として、現在の剣谷町、柏堂西町、そして柏堂町の西部一帯は、起伏のゆるやかな広大な丘陵であった。
当時は、山から湧き出た澄みとおった水が流れていた七曲谷から、この丘陵を通ってガミヤ池に水路がひかれていて、その水が野営の飲料水であった。

池にも水が湧き出るところがあって、透明度の高い、澄みとおった水が、いつも満々とたたえられていて、西宮のボーイスカウトだけでなく、芦屋、尼崎、大阪からも、ボーイスカウトや一般の青少年が野営や、山遊びにやってきていたので、西宮市教育委員会は、その一部を国から借りて剣谷教育キャンプ場とした。
しかし、まもなく、その国有地が民間に払い下げられて、一軒の家も、田畑もなかった広大な荒れ地が、目を見はような高級住宅街となってしまった。

西宮市教育委員会は、この地の代わりに甲山国有林を借り受けて、甲山教育キャンプ場を設け、甲山青年の家を建てた。

日向台とあるのは、苦楽園一番町の中新田川に面して、米田敏行氏が管理しておられたが、中新田川は既に当時からドブ川であったので、付近の住宅の上水道から、海藻正之氏が上水をひけるように工事して下さって、キャンポリーに使用した。
この地区キャンポリーの前に、県連盟の地区特別合同野営大会にも、指導者地方実修所にも使用したことがある。

今も川縁に一部荒れ地のままで残ってはいるが、住宅が増えてきて、付近の住民に迷惑がかかるので使用しにくいであろう。

第2回阪神地区キャンポリー
第2回阪神地区キャンポリー
昭和38年3月30日〜31日
剣谷教育キャンプ場(ガミヤ池)

第3回阪神地区キャンポリー
第3回阪神地区キャンポリー
昭和41年3月20日〜21日
甲山教育キャンプ場

■ 年表
年.月.日主 催場 所名 称
S28. 8.16〜 23阪神地区 . 第4回阪神地区合同野営大会
 29. 8.17〜 20 蓬莱峡 第5回阪神地区合同野営
 30. 8.19〜 22 剣谷ガミヤ池 第6回阪神地区合同野営
 32. 8.10〜 12 剣谷ガミヤ池 第7回阪神地区合同野営
 34. 6.24〜 26 船坂谷 地区合同キャンプ
 34. 7.25〜 27西宮小地区船坂谷 西宮小地区第1回合同野営
 36. 8. 6〜 13 船坂谷 西宮小地区第2回合同野営
 37. 3.31〜 4. 1阪神地区 剣谷教育キャンプ場 第1回阪神地区キャンポリー
 38. 3.30〜 31 剣谷教育キャンプ場 第2回阪神地区キャンポリー
 39. 3.28〜 29西宮小地区剣谷教育キャンプ場 西宮地区キャンポリー
 40. 3.27〜 28 剣谷教育キャンプ場 西宮地区キャンポリー
 41. 3.20〜 21阪神地区 甲山教育キャンプ場 第3回阪神地区キャンポリー
 42. 3.26〜 27 甲山教育キャンプ場 第4回阪神地区キャンポリー
 43. 3.30〜 31西宮地区 甲山教育キャンプ場 第1回西宮キャンポリー
 44. 4. 5〜 6 甲山教育キャンプ場 第2回西宮キャンポリー
 45. 4. 4〜 5 甲山教育キャンプ場 第3回西宮キャンポリー
 46. 4. 3〜 4 甲山教育キャンプ場 第4回西宮キャンポリー
 49. 3.31 武庫川公園 第5回西宮キャンポリー
 50. 3.29〜 30 甲山教育キャンプ場 第6回西宮キャンポリー
 51. 3.20〜 21 日向台 第7回西宮キャンポリー
 52. 3.20〜 21 日向台 第8回西宮キャンポリー
 53. 3.25〜 26 日向台 第9回西宮キャンポリー
 54. 3.25 甲山森林公園 第10回西宮キャンポリー
 55. 3.25 甲山森林公園 第11回西宮キャンポリー
 56. 3.21 甲山周辺 第12回西宮キャンポリー
 57. 3.21 北山ダム周辺 第13回西宮キャンポリー
 58. 3.20 越木岩神社・甲山周辺 第14回西宮キャンポリー
 59. 3.18 北山ダム周辺 第23回西宮キャンポリー
 60. 3.17 甲山森林公園 第24回西宮キャンポリー
 61. 3.23 甲山森林公園 第25回西宮キャンポリー
 62. 3.21 北山周辺 第26回西宮キャンポリー
 63. 3.20〜 21 焼石ヶ原 第27回西宮キャンポリー
H 1. 3.18〜 18 焼石ヶ原 第28回西宮キャンポリー
  2. 3.30〜 4. 2 焼石ヶ原 第29回西宮キャンポリー
  3. 3.23〜 24 焼石ヶ原 第30回西宮キャンポリー
  4. 3.21, 28 社家郷山教育キャンプ場第31回西宮キャンポリー
  5. 3.20 . 第32回西宮キャンポリー
  6. 3.19〜 21 県立青少年の山 第33回西宮キャンポリー
  7 震災のため中止
  8. 3.23〜 24 甲山教育キャンプ場 第34回西宮キャンポリー
  9. 3.22〜 23 甲山教育キャンプ場 第35回西宮キャンポリー
 10. 3.22 武庫川河川敷 第36回西宮キャンポリー

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